ミーソン聖域半日バスツアー(2011年8月)


ああ今日の今ごろは僕はバスの中、のはずだった。ホイアンからニャチャンへのバスを昨日の夜に予約しようとしたらすでに満席だったため、出発を1日遅らせることにした。1日フリータイムができたので、かねてより迷っていたミーソン聖域という遺跡を観光するツアーに参加することにした。

概要

1人5ドル
内容:バス往復代金、英語ガイド、ランチ(実は込みではなかった)
8:15ピックアップ
8:30発
10:00ごろミーソン到着
11:45ミーソン出発

ホイアンからミーソンまでは50キロなので1時間半とかで着いてしまう。遺跡は小ぶりな上に一部を除いて壊滅的。風化と戦争によって強者どもがアフタードリーム状態。カンボジアのアンコールワットのようなものを期待していくならやめたほうがいい。チャンパの石彫が見たいならダナンにあるチャンパの石彫ミュージアムに行くべきだ。

ミーソン建築の特徴は、もちろんヒンドゥー教・インドに影響されたテイストにあるが、アンコールワット遺跡群と比較して言うならその特徴はまさに煉瓦建築にある。アンコール遺跡群は基本的に砂岩とラテライトで出来ている灰色の遺跡である。一部に赤い遺跡もあるが、それは赤色砂岩。ここミーソンでは、煉瓦を積み上げて建物を作っている。その技術もさることながら、1000年経っても綺麗な状態を保つ煉瓦は一見の価値あり。どのような素材と技法で作ったのかは未だに謎らしく、修復して作られたほうの煉瓦がわずか20年前なのに古く見えるというのは驚きだった。

また、ミーソン聖域はその名の通り宗教上重要な建築であり、一部のアンコール遺跡のような住居を兼ねたものではない。人々はここで祭礼などのためにここに集ったとのこと。チャンパ王国は隣国との戦争が絶えなかったこともあり、ミーソンの周囲は山に囲まれている自然の要塞的な立地に建設された。もちろんそうした自然の要塞は近代戦争になっても大事なポイントでり、ベトナム戦争ではここにベトナム軍が集い、そしてアメリカ軍が爆撃を加えた。結果、多くの建物が爆撃によって壊され、地面には今でも爆撃のときのクレーターが見られる。

ガイドはしっかり説明してくれた。ハロン湾の時のガイドの方が分かりやすい英語だったが、食らいついていればそれなりに理解はできた。

11:00からは民族音楽と舞踊が見られる。途中から見たが、インドっぽいテイストのダンスが見られた。

バス帰りツアーの客はそのままバスで帰り、ボート帰りツアー(うちらの宿でお願いした場合は8ドル)の客は途中で降りて船に乗りながらランチを取る。前々日と前日に宿で2人の女性から、バス帰りのツアーを選択してもランチが食べられると聞いていたつもりが、そうではなかったようだ。バスは数人の観光客を乗せてホイアンに直帰。宿についてから1人の受付女性にランチがなかったと言うと「私はそんなことは言ってない」と言う。俺が「もう1人の女性も、しっかり確認したけどランチが付くと言っていたが」と聞くと、「彼女はツアーの内容を知らないのよ」という答がかえってきた。いずれにせよ今から文句を言っても遅い。ラオバオのバスの一件から、しっかりと確認しようとしていたつもりだが、たとえ英語が話せる相手であっても、お互い面倒であっても、やはり紙に書き出して確認したい。もちろん、5ドルのツアーでランチ付きは安すぎるとは思ったんだが。宿を決めるかどうか迷っているとき、受付女性から宿の一階のトイレでホットシャワーが使えると聞いた気がするのだが、水しか出ず、他の女性に聞くとホットシャワーは使えないと言う。まぁホットシャワーやランチなどなくてもいいのだが、あると思っているのに内となるとチト損した気になってしまう。次のニャチャンに期待したい。

りょう の紹介

東京都品川区で生まれ育つ。サービス業、ホステスクラブ、海外ボランティア駐在員、レストランバー、コンピュータ会社などを経て独立開業。2011年から休業し、夫婦で1年ちょっとの世界一周へ。現在は帰国してイクメン父上に勤しむ。好きな食べ物はナス。言語や歴史に興味あり。コンプレックスは字が汚いこと。好きな言葉は「とりあえずビール」でポッドキャストでは世界のビールを飲み歩く「Beer the World(ビーアー・ザ・ワールド)」を担当。
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