1975年にオープンしたこの博物館は、何度か名前を変えているらしい。
オープン当初は英語で「The House for Displaying War Crimes of American Imperialism and the Puppet Government」と呼ばれていて、日本語にするなら「アメリカ帝国主義と傀儡政権による戦争犯罪展示館」といった響きの名前だった。その後は「Museum of American War Crimes」となり南ベトナムの傀儡政権の名前がなくなった。日本語なら「アメリカ戦争(ベトナム戦争)の戦争犯罪博物館」のような響きだろう。そして今は「War Remnants Museum」、つまり「戦争証跡博物館」になった。
つまり、徐々に表現が変わっているということだ。最初はアメリカ帝国主義と(南ベトナムの)傀儡政権、その後はアメリカ戦争の戦争犯罪という表現になり、今は単に「Remnants (証跡)」になったわけだ。
入り口はこんな感じ
外には兵器類が展示されている
一階は世界各地で起こったベトナム戦争反対の運動が写真やポスターで紹介されている。日本の資料も多かったが、すべて共産党かその方向性を持った団体のものだった。
展示では、「平和を!」というメッセージを前面に押し出していた。10年前はもっとアメリカの戦争犯罪を前面につるし上げていた記憶がある。
2階以降はアメリカの戦争犯罪、枯れ葉剤、ソンミ村虐殺事件、武器の展示、有名な写真家による写真の数々が展示されていた。
10年前に見たたくさんのホルマリン漬け奇形児(胎児)は1箇所にしかなかった。写真は多数あった。
感想
10年前と比べてソフトな路線になり、プロパガンダ色が薄れて平和を求める内容になっていたのはよかったと思う。それでも、あくまでベトナムの言い分として見ていかなければならないとは感じた。もちろん戦争犯罪があったという事実は否定するつもりはない。
当たり前のことだが、ベトコンやベトミンはアメリカや南ベトナムのような「犯罪」を犯していなかったわけではないのに、その点についてはまったく描かれていない。この点については常に考えながら展示物を見なければならないと感じた。
まぁ、俺の意見としては、よその国が武器と金を持ってしゃしゃり出て来ている時点でそもそもいかんと思うんだが。
(アメリカとの)ベトナム戦争開戦まで俺なりのまとめ
- 19世紀後半、ベトナムがフランスの植民地(インドシナ連邦の一部)となる。
- 1940年、ナチスドイツによってパリが陥落し、フランスに親独政権が発足する。
- 同年、日本軍は親独政権になったフランスに頼んでベトナム北部(のちに南部も)に進駐してフランス軍と同居させてもらう。当時日本が交戦中だった中華民国(国民党軍)の補給ルートの1つを断つ目的だった。
- 1944年、連合国によってパリが解放され、親独政権が解体される。仏印政府と日本はあからさまな敵対関係となり翌年に交戦開始。結果、日本はインドシナからフランス軍を追い出し、ベトナムの皇帝パオダイに独立を宣言させる。
- 1945年8月、日本がポツダム宣言受諾、ホーチミン率いるベトミンはパオダイ帝を退位させて新たにベトナムの独立を宣言する。
- 大戦後、フランスはインドシナを再植民地化しようとする。
- 独立したいホーチミン側と植民地支配したいフランス側の交渉は難航し、1946年にフランスはベトナム南部に新しい国を作ってしまう。
- 1946年、ベトナムとフランスの戦いが始まる。インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争)である。
- 1949年、ソ連が核実験に成功、中国では共産党政権である中華人民共和国が誕生し共産主義勢力が拡大しベトナムに援助する。アメリカはこうした拡大を恐れる。
- 1950年、朝鮮戦争勃発。
- 1954年、ベトナム軍に押されたフランスは植民地化を諦め、ジュネーブ協定に調印し停戦。2年後に南北統一選挙をすることで合意。ただしアメリカはこの協定にサインせず(尊重するという声明を出しただけ)。
- 1955年、もう疲れたフランスはインドシナをアメリカに任せる。アメリカ傀儡政権である南ベトナム成立。
- 1956年、南ベトナムで統一選挙は行われず。いわゆるベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
- 1973年、アメリカ軍撤退。
- 1975年、サイゴン陥落。南北統一。
毎回楽しく読んでます。
戦争の時代背景も載せてくれているので助かります。
戦争でいつも犠牲になるのは国民なのに、いつになったら戦争の無い世界になるんだろうか。