カマグエーニョの豪邸
カマグエイに着いたのは夜の12:00だった。バスを降りると、カーサのパパがうちら2人の名前を書いた紙を持って立っていた。
書き出すとややこしいが、このカーサに泊まることになったいきさつはこうだ。サンティアゴ・デ・クーバのカーサのママからもらった、カマグエイにあるカーサの名詞を、バラコアのカーサのママに見せて予約をしてもらったが、そのカーサは予約でいっぱいだったために、別のカーサのパパが迎えに来てくれた。
車に乗って家まで送ってもらったのだが、家に行ってびっくり。
豪邸!
シャンデリア!
なにこれ水でるの?
天井が高い!
廊下を見上げると空が
驚きである。実質2部屋のような間取りで1泊20CUC。建物は古く、調度品も本物のアンティークだ。恐ろしく天井が高い。
ラビリンス
驚いたのは家ばかりではない。カマグエイの旧市街がややこしかった。この町はキューバの中でも最も古い町(のひとつ)なのだが、2世紀にわたって侵略者や海賊と戦わなければならなかった。スペイン風の町というのは碁盤の目に作られるわけだが、この町は侵略者が町に攻め入ったときのためを考えて、道を細くわざと入り組んだ形にしたのである。例えば、遠くにある教会の尖塔を目指して角を曲がってもその教会へはたどり着けなかったりするわけだ。日本の城下町などにもこういう都市計画はある。
こうしたユニークな旧市街は世界遺産にもなっている。そんなわけで早速、迷いに出かけた。ようやくパルケにたどり着いて一休みしていると、キューバではお馴染み、何の用事か話しかけてくる人がいた。
世間話もそこそこに、カマグエイについていくつか聞いてみた。彼らから仕入れた情報によると、カマグエイとは先住民タイノの族長の名前(の一部)から取られたもの。最初の町はプエルト・プリンシペ。まちにはカトリックだけで28の教会があり、すべてのパルケに教会が建っている。迷路のような町もカマグエーニョたちは迷わないのだという。キューバの中でもカマグエイのスペイン語が一番きれいだ、と彼らは言う。2008年にローマ法王がカマグエイを訪れ、それ以降は12月25日のクリスマスが国民の休日になった。カマグエイは敬虔なカトリック教徒が多い。もともとスペイン人の割合が多い町で、豊かな人が多いなどなど。
しばらく歩くとラビリンスの俯瞰図が頭に入ってきた。ブカネーロという海賊の名前をつけたバーでブカネーロビールを飲んで家に帰った。途中、おじいさんが韓国人だというキューバ人(姓が韓国風だった)と知り合って立ち話。お姉さんにも合って立ち話。お姉さんはかなりアジア顔をしていた。カマグエーニョはおっとりしている。